中山隧道(なかやまずいどう)は、山古志地区で最も山深い小松倉集落にあります。古くから四方を山に囲まれたこの集落の人々は、どこへ行くにも峠を越える必要があったといいます。特に積雪が4メートルを超える冬場の峠越えは命がけだったそうです。
集落には医者もいなかったことから、急病人が出れば、背負って峠を越えなければならなかったため、以前から集落内ではトンネルを求める声が上がっていたのだそう。そして地域の人たちが協力して取り組んで建設したのが中山隧道です。
全長約877メートル、幅約2メートル、高さ約2.5メートル。軽自動車1台が通れるほどの狭さに驚きますが、1998年までは国道として利用されていました。
1998年に中山トンネルが開通し、中山隧道はその役目を終えました。しかし住民の声によって保存されることになり、今もその内部を見学することができるように。上の写真の左側が中山トンネル、右側の小さなトンネルが中山隧道です。
保存された中山隧道は2015年まで通り抜けることができました。一部崩落の危険があるため、現在は山古志地域の入り口から70メートルほどだけ歩いて見学することができます。
内部にはゴツゴツした壁が広がります。これは、ツルハシと呼ばれる硬い土を掘り起こす農業用の道具などを使って掘られたためなのだそう。当時の工事の様子を伝える道具も置かれ、手作業で進められたことに、子どもだけでなく大人もびっくりすることでしょう。
小松倉集落の人たちが工事に取りかかったのは、1933年。通常、トンネル工事では重機を使用しますが、この隧道は集落の人たちだけで建設されたので、専用の機材などはなくツルハシやシャベルなどを使って掘り続けられたそうです。
人の手でトンネルを掘り続けたと聞くと、「そんなことができるの?」と思いますよね。そのヒントは、田んぼにあります。
山に囲まれた山古志地区では、斜面を利用した棚田が広がっています。田んぼに欠かせない水を引くために、横井戸も掘って地下水を掘り出していたのだとか。中山隧道は、地元に伝わる横井戸のこの技術を利用して掘り進められたのです。
中山隧道は1933年に工事がはじまり、1949年に貫通を迎えました。途中、太平洋戦争で一時中断しましたが、完成までなんと16年もの歳月がかかったそうです。この工事にそれだけの時間と労力をかけた先人たちの情熱に感心させられますね。
トンネルの入り口には解説パネルが設置され、隧道が完成するまでの歴史や、先人たちの苦労を知ることができます。2006年には、土木学会選奨土木遺産としても選定され、歴史的にも評価されています。
中山隧道がある小松倉集落をはじめ、山古志地区は至るところに棚田が広がっています。田植えを終えた田んぼは緑がとってもキレイですし、遠くには新緑の山々が見えます。
貴重な棚田の風景も、手掘りのトンネルとともに、ゆっくり見学してみてはいかがでしょうか。
隧道の見学距離は70メートルほどですが、地下水が流れて滑りやすい場所もあるため、歩きやすい靴でおでかけください。隧道内はひんやりしているので、上着を1枚用意するのがオススメ。
山古志地域には国の重要無形民俗文化財に指定された「山古志牛の角突き」があります。5月から11月まで月2回ほど開催しています。間近で見る闘牛は迫力満点!
山古志地区には、アルパカ牧場があります。エサもあげられるので、お子さんもよろこびますよ。