秋田県仙北市の角館は佐竹北家の城下町として栄え、黒板塀が続く武家屋敷のシダレザクラが情趣あふれる景観をつくり出しています。
樺細工は江戸時代中期から世界でも角館にのみ受け継がれているヤマザクラの樹皮を使った工芸品です。
「樺」の語源は万葉集の長歌の中で、ヤマザクラを「かには」と表現したものが後に「かば」に転化したといわれています。
このヤマザクラの樹皮を職人が1枚1枚手作業で「削り」と「磨き」を繰り返し、自然の樹皮から樺細工の素材としての「桜皮」が生まれるのです。
代表的な製品としては、茶筒や茶道具類、文箱、茶だんす、ブローチなどがあります。
樺細工の魅力を探るため、「角館伝四郎」のブランドで知られる1851(嘉永4)年創業の老舗、株式会社藤木伝四郎商店を訪ねました。
※株式会社藤木伝四郎商店のPR記事です。
角館の樺細工は、今から230年ほど前の天明年間に、秋田県北部の合川町鎌沢の神官御処野家から角館の武士、藤村彦六氏がその技を伝授されたことがその始まりといわれています。藩政時代は藩主佐竹氏の保護のもと、下級武士の手内職として受け継がれ、印籠、眼鏡入、根付、緒締などが妥協を許さない品質と作風でつくられていました。
明治以降は、有力な問屋が現れたこともあり、樺細工が角館の地場産業として根付いていきました。大正期以降は名工・小野東三氏が樺細工の円熟期を支え、時代をリードしていきました。特に1942(昭和17)年からの3年間、柳宗悦氏らの指導のもと、小野氏とその弟子たちと臨んだ日本民芸館における伝習会での成果は、今日の樺細工の礎を築いたといわれています。
重厚な黒板塀の武家屋敷(柴田家)
幾層にも重なるように育った桜皮はしなやかで強く、調湿性があります。桜皮の「原皮」は灰褐色で表面はざらざらとしています。
その質感をそのまま用いたのが「霜降皮」でヤマザクラの自然な風合いを楽しめます。原皮の表面を薄く削ると赤茶色の層が現れます。それを磨いて光沢を出したものは「無地皮」と呼ばれ、桜皮独特の色艶があります。なお、樹皮をはぎ取った後に再生したコルク状の桜皮は「二度皮」と呼ばれています。
桜皮の原皮(写真提供:藤木伝四郎商店)
写真の茶筒は左側が「霜降皮」、右側が「無地皮」の桜皮の製品(写真提供:藤木伝四郎商店)
「樺細工」の技法には「型もの」「木地もの」「たたみもの」の3種類があります。
「型もの」とは木型に合せて芯をつくり、その上に桜皮を貼り付けて茶筒状のものを作る技法のことです。
藤木伝四郎商店の新谷槙子さんによると、茶筒の場合、円柱の木型に、にかわを塗った経木と桜皮を巻き付け、高温に熱した金コテで押さえながら丹念に貼り合わせていき、密封性に富む茶筒にするのが職人の腕の見せどころだといいます。
桜皮を貼る作業風景(写真提供:藤木伝四郎商店)
「木地もの」とは下地に木地を使ったものの総称で、盆や茶びつのような「箱」を成形する技法です。
「たたみもの」とは桜皮を何枚も重ね合せて数センチの厚さにし、さまざまな形に彫刻する技法で、現在は、ブロ-チやペンダントなどのアクセサリーや上質な茶筒の内ぶたのつまみに用いられています。
「樺細工の魅力は、調湿性や耐久性といった機能面に加えて、自然の質感を味わい楽しみながら、長く使い続け使い込むほどに風合いが増し、愛着がわいてくる点にあるといえます。また、今の時代の住空間に調和するデザイン開発を進め、世代を超えて愛されるものづくりを大切にしている点も樺細工の価値向上に寄与していると思います」と新谷さん。
自然の素材である桜皮と向き合いながら、樺細工をつくり続けるまち、角館。私たちの暮らしに華やぎを添えてくれる丁寧なものづくりの精神は、次の世代へときっと引き継がれていくことでしょう。
おしゃれなテーブルウェアとしても人気(写真提供:藤木伝四郎商店)
紅茶などの保存用キャニスター。白地が「かえで」、飴色が「さくら」。桜皮の帯がアクセント