佐渡は東京23区の約1.4倍の面積があり、初めて佐渡を訪れると、まずその広さに驚かされます。かつてこの地には200以上の能舞台があったといわれ、現在でも30余りの能舞台が現存しています。この数は国内の能舞台の約3分の1に当たり、佐渡では「能は暮らしの一部」とされるほどです。
佐渡は能の大成者・世阿弥の配流(はいる)の地であり、古くから能とゆかりが深い場所。そして江戸時代に入り、初代佐渡奉行の大久保長安(ながやす)が能を定着させたといわれ、佐渡の能は武士から農民まで広く親しまれてきました。春先には神社へ能が奉納され、6月には薪能(たきぎのう)月間として多くの舞台が鑑賞できます。
「佐渡能楽倶楽部」会長の神主弌二(こうずいちじ)さんに島内の能についてお話を伺い、佐渡本間家能舞台をご案内いただきました。
佐渡には「京の着倒れ大阪の食い倒れ、佐渡は舞い倒れ」という言葉があると神主さんは言います。 それほど佐渡は能が盛んな地域ということのようです。 神主さんは天領佐渡両津薪能でシテ(曲中の人物に扮し、歌い、舞いながら演じる主人公の役)を務める宝生流(ほうしょうりゅう)師範です。 宝生流が盛んなのは、江戸時代に地元の名家だった本間家初代・秀信が、奉行所から能大夫(のうだゆう)を拝命し、佐渡に宝生座を開き、その門下生たちが神社に奉納する神事能を請け負ったことで、島内に広まったのが理由といわれています。 本間家は現在も「佐渡宝生」の中心的な存在で、「私たちが舞台に立つときは、本間家の面や能装束で舞います」と神主さん。
能面は一つの面で喜怒哀楽の感情を全て表現します。能面による感情表現でよく知られているのが、「テル」と「クモル」です。顔をやや上に向けることを「テラス」といい、笑っているように見えます。逆に顔をやや伏せることを「クモラス」といい、泣いているように見えます。
同じ能面でありながら、舞台ではわずかな角度の違いで光と影が変化し、表情が動いて見えるのです。
佐渡の本間家が所蔵している能面の中から主な女面(おんなめん)をご紹介します。
「小」は若くて美しい、可愛らしいという意味があり、能面の中でもっとも若い女性の面です。
顔立ちが優しく若い感じのある宝生流の代表面。鼻の付け根付近の木の節から出たヤニが特徴です。
端正で品格のある能面で、天女や神仙女として『羽衣』などに使用されます。
中年女性の役の能面。顔面の中央部がややくぼみ、顎がしゃくれています。憂いと慈愛を感じさせる面。
加茂湖のほとりにある佐渡本間家能舞台は、島内唯一個人所有のものです。佐渡に現存する能舞台の中でも本格的な構造で、保存状態も良く、県の有形民俗文化財に指定されています。毎年7月の最終日曜日には盛大な定例能が行われ、多くの観客が訪れます。
1885(明治18)年に再建された佐渡本間家能舞台。大膳神社能舞台に次いで2番目に古い。
能という演劇が高度に洗練された舞台芸術となったのは、今から6百年余り前のことといわれています。そして、その立役者は室町時代に生きた世阿弥です。しかし、世阿弥は晩年、時の将軍足利義教(あしかがよしのり)の意向により72歳で佐渡に配流され、74歳のとき『金島書』を著したものの、以後動静が不明で、1443年に81歳で没したと伝えられています。
実際に佐渡で能が広まったのは江戸時代に入ってからのことでした。佐渡で金銀の資源が発見されたことで、徳川幕府は佐渡を直轄地とし大久保長安を佐渡奉行に任じました。能役者の息子だった大久保は、佐渡にシテ方や囃子(はやし)方※を同伴し、島内で能を催したことから、次第に集落ごとに神事として奉納され広まったといわれています。
能は武士の式楽(しきがく)として愛好されてきた歴史がありますが、佐渡では島に暮らす人々が農作業の合間に謡を練習し、お祭りや祝い事で披露するなど、自分たちの趣味や娯楽として能を愛してきた歴史があり、能が暮らしの一部となっているのです。
※ 囃子方:囃子の演奏を受け持つ役のこと。能の場合、笛方・小鼓方・大鼓方・太鼓方の四役があります。
神主さんが使用している面「節木増」と中啓(ちゅうけい)と呼ばれる扇の一種「鬘扇(かずらおおぎ)」。
神主さんは能の保存・普及のために新潟県立佐渡中等教育学校のスクール・カルチャーで能楽の講座を担当しています。これは、同校が「佐渡の歴史と文化に誇りを持ち、豊かな人間性と知性を身に付け、世界的視野で活躍できる人間の育成」という学校教育目標のもと、総合的な学習の中に位置付け、実施しているものです。
能の歴史や佐渡との関わりについての学習や謡の練習などからスタートし、素謡『鶴亀』や『竹生島』、舞囃子『胡蝶』『羽衣』などを発表会で披露しています。
本間家能舞台で素謡の発表会の様子
(写真提供:佐渡中等教育学校)
学校内で能楽の発表も行われています
(写真提供:佐渡中等教育学校)
佐渡の能は6月から8月に集中し、特に6月は薪能月間として毎週どこかで能を観ることができます。また、加茂湖を見下ろすアカマツ林台地に立地する椎崎諏訪神社の能舞台では、佐渡観光協会により、一般の方向けに本格的な能・仕舞体験ができる体験プランも用意されています。
佐渡は、能が生き生きとした芸能として、暮らしの中に溶け込んでいる全国的にも稀有な地域であり、日々暮らす人々の心のよりどころとして、これからも大切に受け継がれていくに違いありません。
装束を着け、面をかけて出番を待つ神主さん
(写真提供:太田真三〈小学館〉)
椎崎諏訪神社で奉納された『熊野(ゆや)』で
シテ(右手前)を務める神主さん
(写真提供:齋藤日出子)
名曲『船弁慶(ふなべんけい)』の舞台
(写真提供:齋藤日出子)
神主弌二さんは佐渡の宝生流の太夫家・本間家を支援する趣旨で明治期に設立された「佐渡能楽倶楽部」の会長を務めている
公益社団法人能楽協会正会員、新潟県能楽連盟理事
取材当日、神主さんのご指導で面をつけ、能の世界を体感
椎崎諏訪神社の能舞台で本格的な能・仕舞体験ができます。
募集人数10人(最少催行4人)
料金おとな:2,000円 こども:1,000円
集合・解散場所:椎崎諏訪神社(佐渡市原黒)
開催期間や時間帯などについては下記へ直接お問い合わせください。
電話:0259-27-5000(佐渡観光協会両津港案内所)
佐渡の伝統文化に触れる「能・仕舞体験」も好評
(写真提供:佐渡観光協会)