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人・暮らし 新しいストーリー2019年04月12日公開

【PR】岩手県-盛岡市 | 匠たちの肖像 vol.③ 鉄ならではの味わいと実用の美を今に伝える、南部鉄器

 

目次

岩手県を代表する伝統工芸品といえば南部鉄器が挙げられます。岩手の土地に根ざし、現在では国内外から注目される存在となっています。
南部鉄器とは盛岡市と奥州市水沢地区でつくられている鉄器の総称ですが、旧南部藩である盛岡と旧仙台藩である水沢とでは、それぞれ歴史が異なり、その伝統は連綿と受け継がれています。
盛岡では藩主南部家の庇護のもと、お抱えの釜師や鋳物(いもの)師たちが互いに技術を磨き合いながら、鉄器づくりが発展してきました。
そして、現在も伝統の技術を継承する職人たちが、南部鉄器の新たな美を追求し続けています。江戸時代から続く歴史と伝統、受け継がれる技から生み出される「鉄の美」について、盛岡市で南部鉄器の製作・販売を行う鈴木盛久工房の鈴木成朗さんにお話を伺いました。
※有限会社鈴木盛久工房のPR記事です。

“僕らしくありたい”という姿勢

鈴木家の歴史は、1625(寛永2)年に南部家の御用鋳物師として召し抱えられたところから始まります。400年近い歴史を持つ日本を代表する老舗工房です。工房の店先には渋く黒光りする鉄瓶や鉄釜が並んでいます。
伝統ある鈴木家直系の母・第15代鈴木盛久(熊谷志衣子さん)の次男として生まれ、2008年に南部鉄器職人の道へと進んだ鈴木成朗さんですが、「伝統の重みを感じることはあっても重荷に感じることは全然ない」と言います。
「曾祖父の13代が人間国宝で茶の湯に通じたレジェンドみたいな人でした。14代の祖父は襲名後6年足らずで他界したため南部鉄器の作品は少ないのですが、以前は東京芸術大学で教えるかたわら造形作家として活躍していましたから、ファインアートのようなブロンズ作品は記憶に残っています。そして母が40歳で15代盛久を襲名したころ、僕は高校1年でした。絵を描いたりすることが好きなので、3人兄弟の中で一番後継に向いているかもしれないという思いがあり、東京芸術大学工芸科で鋳金を専攻しました。でもこうして家業に携わるようになっても、母や先代たちが築いてきた伝統の重みを感じてはいますが、“僕は僕らしくありたい”という姿勢です」と話す成朗さん。
大学卒業後、成朗さんは美術学校講師を経てお兄さんが立ち上げたファッションブランドでグラフィックデザイナーとして働き始めます。
「ちょうど“裏原宿系”と呼ばれるファッションが大流行していた時期で、兄の会社の商品もヒットしていました。小さな会社でしたから、僕はグラフィックデザイナーとはいえTシャツのロゴやカタログのデザインだけでなく、営業や展示会、発送から経理まで洋服づくりに必要な物、人、お金に関わることを全部やれたので、ビジネスの基本はこの時期に学んだといえます」
成朗さんは8年間その会社で働き、2008年35歳で鈴木盛久工房に入ります。

■鈴木盛久工房について

鈴木家は1625年に、鈴木越前守縫殿家綱が南部家の本国甲州から御用鋳物師として召し抱えられ、仏具、梵鐘(ぼんしょう)などを鋳造して代々藩の御用を勤め上げた長い歴史を持っています。
第11代家定が製作した「霞南部型鉄瓶」は1985年8月8日発売の伝統的工芸品シリーズ記念切手の絵柄となっています。
第12代から代々「盛久」を襲名。
第13代盛久は1974年、南部鉄器業界で初となる重要無形文化財の保持者(人間国宝〈通称〉)として認定され、名工「鈴木盛久」の名を不動のものとしました。

第13代 盛久の代表作「日の丸型鉄瓶」。モダンな造形美が感じられます

第14 代盛久の鈴木貫爾(かんじ)さんは、東京芸術大学の教授として正倉院の文化財の復元などを手掛け、父である13代の死去に伴い1976年に盛久を襲名。イタリアの鋳物技術を取り入れるなど革新的な取り組みをしています。1981年東北新幹線開通記念で盛岡駅コンコースに設置されたオブジェ「フクローの樹」のデザイン監修でも広く知られる鋳金家です。
第15代盛久を1993年に襲名した熊谷志衣子さんは歴代の中で初の女性鋳物師。1991年「櫛目丸型鉄瓶」で「第15回全国伝統的工芸品展」(伝統的工芸品産業振興協会主催)において最高位の内閣総理大臣賞を受賞。熊谷さんが独自に生み出した型は、繊細なラインが柔らかく、軽やかで美しいと評されています。

櫛目丸型鉄瓶(くしめまるがたてつびん)

第15代鈴木盛久(熊谷志衣子さん)

伝統技術の継承とものづくりへの意欲

「鉄瓶や茶釜の製造工程は細かいものも数えると200くらいあり、およそ一通り覚えるのに5年くらいかかりました。僕は日々工房でつくることが基本だと考えています。やはり工房と職人あっての伝統工芸です。伝統技術を継承し工房を絶やさないようにするため、うちの職人たちは年齢的に幅を持たせています。一番上が私と同世代、一番下が20代で5年のキャリアです」と、成朗さんは言います。
盛岡市内には現在十数軒の南部鉄器工房があり、それぞれが1軒で持ち手(鉉)以外の全工程を行う一貫生産という点が大きな特徴です。これは、茶の湯を嗜む藩主の献上品として栄えた性格上、「わび・さび」と品格を重んじ、美術工芸品的なものづくりのために構築された製作形態であるといえます。
「兄の会社でファッション業界のさまざまな仕事に関わった経験と発想が、こうした南部鉄器のものづくりの世界でも生かせると考えています」と成朗さんは意欲的です。

鈴木盛久工房の工場内部。素焼きの型枠がうずたかく積み重なっている

■南部鉄器の成り立ち

盛岡市内を流れる中津川に架かる上ノ橋は1609(慶長14)年に、中ノ橋は1611(慶長16)年に完成していますが、いずれも見事な青銅製の擬宝珠(ぎぼし)が取り付けられ、盛岡藩第2代藩主南部利直の銘が刻まれていることから、当時この地域には、すでに確かな鋳造技術があったことを物語っています。
一方、江戸時代、茶の湯は武士にとって大事な教養の一つで、中でも第3代藩主南部重直は茶道を嗜み、京都から釜師を招いて茶釜をつくらせたのが南部鉄器の始まりといわれています。また、藩内には砂鉄や岩鉄などの良質な鉄資源があり、川砂、粘土、漆、木炭など鋳物に必要な原料が豊富に産出されたことも、この地で南部鉄器が地場産業として栄えた大きな一因とされています。
盛岡藩における南部鉄器は、御用職人として登用された4家(小泉家、鈴木家、有坂家、藤田家)の時代から、それぞれ工房で一貫生産を行う点が大きな特徴です。
これと対照的なのが平安後期の藤原清衡の時代に発祥したとされる奥州市の鉄器です。胆江地区では伊達仙台藩の時代「水沢鋳物」の産地として栄え、各工房の分業制が発達したことから、大量生産にも対応できるにようになっている点が特徴です。
1975(昭和50)年に南部鉄器が伝統工芸品指定第1号となり、以降、「水沢鋳物」を含め“南部鉄器”の総称が用いられるようになり定着していきました。

大切な鋳型製作の工程

鈴木盛久工房の築130年の工場では、成朗さんと3人の職人さんによる手作業で、鉄瓶の場合には、着手から完成まで2カ月かかり、製造できるのは2カ月で40個くらいだそうです。現在3年分のバックオーダーを抱えており、店先に展示してある商品は全て注文用の製品見本とのこと。
その製造工程について、成朗さんより、簡単にご説明いただきました。
鉄瓶を例に挙げると、〈鋳型製作〉〈鋳造〉〈仕上げ〉の3工程に大きく分けられます。中でも①〈鋳型製作〉は、これが全てといえるくらい大切な工程です。具体的には、『型挽き』といって素焼きの枠型に鋳物砂を盛り、木型を回して鉄瓶の砂で鋳型をつくり、『紋様押し』と呼ばれる模様などを入れ、仕上がった鋳型を素焼きにする『型焼き』の作業となります。南部鉄瓶独特の肌合いを出すため、団子状にまるめた川砂と粘土を使い、肌に凹凸を付けて味わいを出す『肌付け』の作業もこの工程で行います。

素焼きの枠型の内側に水で溶いた砂を付ける「型挽き」の後
挽き上がった型が湿っているうちに棒で「紋様押し」を施します。
後ろの棚にあるのは工房の財産ともいえる鋳型製作の元になる木型です。

〈鋳型製作〉でもう一つ肝心なのが鉄瓶を中空にするための『中子(なかこ)づくり』です。これも砂を固めてつくります。次に②〈鋳造〉の工程に進みます。外側の鋳型に中子を合わせて重ねることで、そこにわずかな隙間ができます。ここに溶けて真っ赤になった約1400℃の銑鉄(せんてつ)を流します。「鋳込み」と呼ばれる作業です。
そして③〈仕上げ〉に入ります。型から取り出し、注入した溶鉄が型の合わせ目などからはみ出した部分を整える「鋳張り取り」を行い、「金気どめ」を施します。これは鉄瓶を焼いて酸化皮膜をつくり、沸かしたお湯が金気臭くならないようにする処理です。
最後に「着色」。加熱した鉄瓶に漆を焼き付けて下地処理をし、その上に色調を整え錆止めのために「おはぐろ」と呼ばれる鉄漿液(てつしょうえき)を塗り完成します。
最初の1カ月は砂で鋳型をつくって鋳込み作業をし、あとの1カ月で仕上げを行うため、鉄瓶が完成するまで約2カ月かかるというわけです。
鈴木盛久工房の鉄瓶の厚さは約2㎜~2.5㎜とのこと。ちなみに平均的な南部鉄器鉄瓶の厚さは約3㎜ほどですから、盛久工房の製品が軽い理由がここにあります。軽くするための工夫がもう一つあり、鉉(つる)と呼ばれる鉄瓶の持ち手の部分を中空にしているのです。これは鉉専門の鍛冶屋さんの手によるものだといいます。

■鉄瓶の製作工程の概略

南部鉄器の魅力とビジョン

南部鉄器の魅力とはなんでしょうか?と伺ってみました。
「一言でいえば、鉄の持つ素材感と道具としての機能だと思います。お湯を沸かすのに一手間、二手間かけ、鉄という素材が酸化し経年劣化することも楽しむことができる道具です。茶の湯のわび・さびにも通じる、朽ちていく魅力ともいえます」と成朗さん。
そして、これからのビジョンついて尋ねると次のような回答が返ってきました。
「南部鉄器は、中国や東南アジア、ヨーロッパなど、海外でも評価をいただいております。支持されている理由として、その品質の高さと使い手の目線に立った造形が挙げられると思います。僕は、世間の需要に応えているだけではなく、ファッションの世界で流行をつくる側にいたときのように、南部鉄器の世界でも新しい風を起こしたいと考えています。茶釜や鉄瓶などは400年の歴史の中で培われた道具としての基本形があり、大体のデザインは出尽くしているともいえるのですが、盛久が築いてきたスタイルを踏まえ、超絶技巧的な紋様や時代性の高いデザインなどをうまくマッチさせることができれば、まだまだ余地はあると考えています。僕は日々過ごす中であらゆることにアンテナを張り、鉄器に生かせることはメモや写真に残すようにしています。工芸以外のジャンルからの影響も多く、建築やグラフィック、映画などからも影響を受けています。一方、南部鉄器協同組組合の青年部のメンバーたちはベンチャー的なことをやろうと意欲的ですから、ここ盛岡で新しい流れが起きつつあります」
めまぐるしく変化するデザインやファッションの業界を経て400年にわたるものづくりの伝統を背負う決意をした成朗さん。
南部鉄器の世界で、鉄ならではの味わいと実用の美のあり方に、どんな可能性を見出し、新たな作品を生み出していくのか、期待が膨らみます。

■鈴木盛久工房の作品紹介

第13代 鈴木盛久 作

蓮釜(はすがま 写真提供:鈴木盛久工房)
笠釜の形状で胴に当たる部分とふたは蓮の葉を、蓋のつまみは蓮の茎を表現し、鐶付に蛙を配しています

第14代 鈴木盛久 作

南瓜釜(かぼちゃがま 写真提供:鈴木盛久工房)
回転体を元につくる古来の技法ではなく、石膏原型を用いたアシンメトリーな釜です

第15代 鈴木盛久 作

富士形鉄瓶(ふじがたてつびん)
富士山形の胴に幾何学紋様が押された鉄瓶。底面積が広いためIHと相性がよいタイプ

八角銚子(はちかくちょうし)
八角柱のシルエットと鋭利な注ぎ口が存在感を出しています。銅ぶた、銀つまみ仕様

鈴木成朗 作

(平成29年度南部鉄器まつり 南部鉄器青年展出品作品より)

尾垂衝釜(おだれかたつきがま)
羽落ち丸みを帯びた段々と左右の鐶付(かんつき)が特徴。肌は味のある仕上げです

流線紋甑口鉄瓶(りゅうせんもんこしきてつびん)
下絵なしの即興で押した流れる線の紋様が特徴。2段木瓜の鉉も力強い

責紐銚子(せめひもちょうし)
口のすぐ脇に鐶付を配した責紐の銚子。紋様はアールデコ調の格子紋様

■南部鉄瓶の特長と上手な使い方

特長

鉄瓶でお湯を沸かすと鉄瓶から溶け出した鉄分が水道水の塩素と反応し分解するため、お湯のカルキ臭さがなくなり味がまろやかになります。

鉄分が多く摂取できるといわれています。鉄分補給を特にお考えの方は、白湯が効果的です。(お茶に含まれるタンニンは鉄分と結びつくため体内に吸収されにくくなります)

使用上の主な注意

IH調理器で使う場合は「弱火」で使用しましょう。沸騰にかかる時間には中火以上でも大差ありません。「強火」は振動で鉄瓶が割れる可能性がありますから、注意が必要です。
*鈴木盛久工房の鈴木成朗さんのお話では、「弱火」で使うことを心がければ、鉄瓶が割れたりする事例はないとのこと。

初めて使用する場合は、2、3回お湯を沸かして慣らします。その時のお湯は捨てます。

鉄瓶の内側には直接手を触れないよう注意が必要です。

鉄瓶の内側を洗うときは、器を手に取って揺り動かし、中の水でゆすぐ程度にしましょう。

お湯を沸かしたら中に水を残さず使いきること。あとは余熱で乾きます。内部を濡らしたままにしておくと錆の原因となります。

南部鉄器職人/有限会社鈴木盛久工房 代表取締役社長 鈴木 成朗(すずき しげお)さん

1972年、熊谷志衣子(15代鈴木盛久)の次男として生まれる。東京芸術大学工芸科鋳金専攻卒業後、東京都内で美術学校の講師やファッションブランドのグラフィックデザイナーなどを経て、2008年に母・15代鈴木盛久に師事し鋳金(ちゅうきん)工芸の道へ。さまざまなジャンルから得たインスピレーションを大切にしたシンプルでデザイン性の高い作品で注目を集めている。主な受賞歴に第42回伝統工芸日本金工展入選、第60回日本伝統工芸展入選。第56回東日本伝統工芸展『奨励賞』。17年には日本橋茅場町『食神さまの不思議なレストラン展』でワークショップ講師を務める。日本工芸会準会員。日本工芸会金工部会員、日本工芸会東日本支部会員。

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