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人・暮らし 新しいストーリー2019年04月11日公開

【PR】新潟県-村上市 | 匠たちの肖像 vol.② 町屋の生活文化の価値を共有し、その魅力を生かしてにぎわいを創る

 

目次

新潟県の最北部に位置し、江戸時代には村上藩の城下町として栄えた村上市。市内には城下町の四大要素とされる「城跡」「武家屋敷」「町屋」「寺町」がしっかり残っている全国的にも稀有な地域で、いまもなお町屋造りの商店や民家が点在しています。
今は町屋の魅力を生かし、さまざまなイベントでにぎわう村上市ですが、20年前は観光客もまばらで町屋取り壊しの危機にさらされていました。道路拡幅による中央商店街の近代化計画が浮上したからです。そうした中、古い町屋に光を当て、その価値を生かし、年間30万人の観光客が訪れるエリアに変えたキーパソンが吉川真嗣さんです。
伝承の鮭の加工業を営むかたわら、地域資源としての町屋を守り、外観再生にも注力している吉川さんに、町屋再生とにぎわいの創出についてお話を伺いました。
※村上町屋商人会、千年鮭 きっかわのPR記事です。

現在の活動の原点

「道路拡幅による商店街の近代化計画で町屋取り壊しの話が持ち上がったのは、1997(平成9)年11月のことでした。当時、地元では、町屋は保存や修復はおろか文化的・歴史的な価値すらほとんど認識されていませんでした」と吉川さんは言います。
その2カ月後、吉川さんは仕事先で、当時全国町並み保存会連盟会長の五十嵐大祐さんと出会います。村上市の近代化計画の話を聞いた五十嵐さんは「城下町の要素である町屋がなくなったら城下町の価値は失われる。道路を広げて成功した商店街は一つもない。あなたがそれを食い止めなさい」と、進言されたのです。吉川さんにはとても衝撃的な言葉でした。
そして、このことを確かめるため、吉川さんは全国の商店街を訪ね歩くほどに、五十嵐さんの指摘が裏付けられていくことを実感したのです。
「これが私の現在に至る活動の始まりでした」と吉川さん。

町屋の価値を共有することからスタート

地域が近代化計画一色で突き進む大きな流れに抗うのは容易なことではありません。町屋を残していこうと意見すれば叩かれ、人も離れ、四面楚歌の状態に陥ったのです。
五十嵐さんからの「旅人の目をもって魅力を見つけ、地元民みんなのためになるPRをする」という言葉を思い出し、改めて町屋に目を向けました。
町屋は一歩店の奥に入ると、太い梁と大黒柱のある吹き抜けが現われ、その空間に土間やいろり、仏間、古い神棚や箱階段など、江戸や明治の時代にタイムスリップしたようなしつらえがあります。改めて、「ここには村上市の生活文化を伝える本物がある」と気付いた吉川さんは「この内部空間こそが村上市の町屋の宝だ」と考えるようになりました。
「町屋の価値を掘り起こしてみんなで共有し、町屋の魅力を生かせば、まちににぎわいを創出できる」と信じ、この空間に価値と魅力があることを1軒1軒回って説明を行い、内部空間を公開することに理解を求める取り組みを始めたのです。「町屋を壊すのではなく、残して生かしていこうという方向に市民の意識が変わると思ったのです」と吉川さんは当時を振り返ります。

村上町屋の見どころの一つ、吹き抜け

生活空間のしつらえそのものに価値がある

町屋について

町家とは、町なかにある家、商家などを指します。主に商業や手工業などの産業活動が営まれた地域に多く立地し、職住併用の住宅が中心ですが、住居専用の仕舞屋(しもたや)も含まれます。下見板張りの外壁や格子窓などの趣ある外観のほか、間口の狭さに比して奥行きが深いといった構造も大きな特徴です。
村上市はコンパクトな城下町で、町屋のあるエリアは徒歩や自転車で回ることができます。鮭の加工食品のお店や酒店、茶舗、菓子店、鍛冶店などが立ち並び、古き良き町屋の風情を、買い物やそぞろ歩きをしながら体感することができます。

■村上市の町屋とは

鮭料理店(きっかわ)

吉川さんのお店。築140年以上という町屋です。

通り土間の天井に千匹以上の鮭が吊り下げられています。「鮭の酒びたし」の場合、こうして1年かけて旨味を熟成させます。

茶舗(九重園)

村上市は北限のお茶どころです。ここは瀧波家伝来の武者人形や大名行列人形でも有名な町屋です。

中は太い梁と大きな吹き抜けの空間が広がっています。

■鍛冶店(孫惣刃物鍛冶)

在りし日の作業場が残されています。鍛冶職人の息子さんが現場を案内してくれます。

いろり端から見える作業場。職住併用住宅の基本構造がよくわかります。

木工店(えびす屋)

大工仕事が減る冬場に木工製品をつくり始め、「竹トンボのえびす屋」として有名です。

木工製品や竹細工の展示スペースの奥が作業場となっています。

染物店(山上染物店)

間口が狭く奥行きのある構造が特徴の町屋のつくりがわかる外観です。

「観光案内所」の木札がある入り口の土間。町歩きする来訪者が立ち寄りやすい雰囲気です。

旅籠(井筒屋)

松尾芭蕉も投宿したしという老舗の宿。現在はレストランとして使用されています。

鮭料理のコースと麹スイーツが味わえます。町屋らしい坪庭も楽しめる空間です。

酒造店(益甚)

かつての古い造り酒屋の一つ。建物は文化庁登録有形文化財となっています。

造り酒屋のころ使用していた酒槽(さかぶね)※や酒壺など多数展示しています。
※酒槽とは、お酒のもととなるもろみを絞るときに使う木製の容器

町屋の生活空間を無料公開

1998(平成10)年、町屋の内部を公開してくれることに賛同してくれるお店22店舗で村上町屋商人(あきんど)会を結成します。内部を公開してくれる店舗をわかりやすく紹介した町屋めぐりの地図も手作りしました。町屋内部の生活空間を無料で公開するという取り組みは全国でも異例で、多くの観光客でにぎわいました。
その後、吉川さんは、町屋の蔵や倉庫に眠る人形や屏風類に光を当てようと、春の「町屋の人形さま巡り」や秋の「町屋の屏風まつり」を企画し、こちらにも大勢の観光客が訪れ、村上市の町屋は今ではすっかり全国的に名前を知られるようになりました。
そのベースとなっているのは「そうしたイベントのない月も常に町屋の内部を公開しているという地道な取り組みにほかなりません」と吉川さんは言います。

「町屋見学できます」の木札

「町歩きお休み処」の脇にさりげなく生けられた花

市民の力で年間30万の観光客でにぎわうまちへ

2002(平成14)年には、市民自らの手で昔ながらの黒塀を復活させようという「黒塀プロジェクト」が立ち上がりました。資金は「黒塀1枚千円運動」で賄われました。市民から「木の板1枚千円」の寄付募るというものです。集まったお金で板やペンキを購入し、大人と一緒に子どもたちも参加して板をブロック塀に貼り付け、1枚ずつ黒いペンキを塗っていきます。こうして少しずつ昔ながらの町並みに姿を変えていきました。
2004(平成16)年には、町人町らしい景観の形成を目指し、市民基金設立による「町屋再生プロジェクト」がスタート。
このように、市民の力で町屋を公開し、催し物を開催し、そして景観を整備するという3つの活動を通して、観光客もまばらだった商店街を年間30万人が訪れ、にぎわうまちへと変身させたのでした。
町屋を軸とした交流人口の拡大は、「大きな経済効果をもたらしただけでなく、村上市民が自分たちの生活文化に誇りを取り戻すきっかけになった」と吉川さんは言います。
実際、どの町屋を訪問しても、住まい手の方がとても気さくに迎え入れてくれます。市民の方々が自発的に町屋の公開に参画している姿勢こそが、町屋再生の原動力となっていることを実感できます。

春の「町屋の人形さま巡り」でにぎわう商店街
(写真提供:吉川真嗣)

「黒塀プロジェクト」により市民の手で城下町らしい昔ながらの黒板塀の景観を再生

地域の魅力を市民一人ひとりが磨く

吉川さんたちが始めた一連の活動は、地域を熟知している市民が観光客をもてなすことで、そこに暮らす人々の生活文化が生き生きと伝わりやすくなり、地域の魅力がより一層高まり、交流人口が増えるという好循環が根付いた事例であるといえます。
吉川さんによると、2015(平成27)年からは、毎年5月、市内にある町屋・寺・武家地区の庭や花、盆栽、山野草を無料公開する「城下町村上 春の庭百景めぐり」を開始し、大好評だといいます。もともとに新潟県は優れた庭が多い「庭園王国」として知られていることから、今年は「にいがた庭園街道ネットワーク」と連携し、国道290号沿いの「にいがた庭園街道」150kmをめぐる広域観光に参画しているといいます。
「私たちがこれまで行ってきたことは、町屋をはじめとする村上市の地域資源の価値を自らの手で引き出し、村上市に来ていただいた方々に町屋の暮らしを知っていただくという活動が基軸となっています。それゆえ、

■村上市の市民主導の主なプロジェクト

1998(平成10)年

「村上町屋商人会」を結成。8月から「町屋の公開」を始める。 和菓子、鮭珍味、地酒、郷土料理、染物、工芸品など22軒の商店が協力。 この時作成した手描きのタウンマップ『城下町村上絵図』が評判になり、マップを片手に村上の町を歩く人の姿が見かけられるようになる。

2000(平成12)年

「町屋の人形さま巡り」を開始。 3月はじめから1カ月間、生活空間の町屋の中に、その家に伝わる雛人形はじめ武者人形、土人形、市松人形など、さまざま人形さまを展示披露。 約70軒もの町屋で家伝の人形さまを無料で見学してもらうこの取り組みは、話題が話題を呼び、1回目から3万人もの集客に成功し、1億円以上もの経済効果を挙げる。

写真提供:新潟県観光協会

写真提供:吉川真嗣

写真提供:吉川真嗣

2001(平成13)年

「町屋の屏風まつり」を開始。 その昔村上大祭でどの家も屏風を立てる風習があったことにちなみ、9月はじめから1カ月間、まちおこしとして蔵の中で眠っていた屏風を約60軒の町屋の中で公開。 「人形さま巡り」と同様のにぎわいを見せ、この二大催しを中心として、村上は全国からお客様が訪れる町に変貌。しかも開催費用は毎回わずかな額であり、全て自前の資金で賄われている。

写真提供:吉川真嗣

写真提供:吉川真嗣

2002(平成14)年

「黒塀プロジェクト」を開始。昭和の中期以降ブロック塀になっていた旧町人町の小路を昔ながらの趣ある黒塀の一画に変えるプロジェクト。 既存ブロック塀を壊さず、その上に木の板を打ちつけ黒く塗ることで、表向き黒塀に変える工法を採用。

(2017年9月現在総延長425m完成)

「宵の竹灯篭まつり」開始。

写真提供:吉川真嗣

2004(平成16)年

「町屋再生プロジェクト」を開始。会員を募り、その年会費で基金を作って、外観再生を希望する店舗に補助金を出すというもの。 当時民間プロジェクトとしては全国初の取り組み。 歴史的考証の上、昔ながらの格子や看板、木枠のガラス戸に変えて町屋本来の外観に整え、町並みをも変えていこうという壮大なプロジェクト。

(2017年9月現在:35件物件の再生が完成)

同年6月に完成した再生第一号の和菓子屋さん

2006(平成18)年

「新潟県まちなみネットワーク」結成。県内45カ所の

2008(平成20)年

「黒塀通りの緑3倍計画」開始。「黒塀プロジェクト」が小路の緑化を推進

(2017年9月現在:植樹63本)

2009(平成21)年

「国際景観会議2009村上」開催。町屋再生プロジェクトが誘致。企画実施の中心的役割を果たす。

2013(平成25)年

「空家再生」開始。「鍛冶屋再生一万円運動」と題し、全国からの寄付金で孫惣刃物鍛冶を再生。

2014(平成26)年

「(一財)精神遺産・まちづくり教育財団」設立。「小中高生のための学び塾」と題し、村上のまちづくりから学ぶ人材育成の出前授業を吉川さんご夫婦が行い、この学び塾が財団設立に発展。

2015(平成27)年

「城下町村上 春の庭 百景めぐり」開始。「城下町村上庭の会」が主体。

2016(平成28)年

「閻魔大王400年大修復」開始。地元大町振興会が主体。「ゴマすり奉納金特典」付きが話題に。

2016(平成28)年

「にいがた庭園街道」開始。「にいがた庭園街道ネットワーク」が主体。
「食材の宝庫 村上 食べ歩きプチグルメ」開始。村上プチグルメ研究会」が主体。
「旧村上貯蓄銀行保存運動」開始。「村上町屋再生プロジェクト」と「まちづくり教育財団」のコラボ。

■参考

村上町屋商人会会長/千年鮭 きっかわ 代表取締役社長 吉川 真嗣(きっかわ しんじ)さん

1964(昭和39)年新潟県村上市生まれ。 早稲田大学商学部卒。商社勤務後、1990(平成2)年村上市に戻り家業である鮭の製造加工販売業に従事。 近代化計画から伝統建築の町屋を守り商店街に活気を取り戻そうと1998(平成10)年「村上町屋商人(あきんど)会」を結成。 町歩きマップを発行し生活空間である「町屋の内部の公開」を開始。 それをイベント化した「町屋の人形さま巡り」「町屋の屏風まつり」を開催し多くの来訪者でにぎわうなど独自の発想とセンスが話題に。 その後も「チーム黒塀プロジェクト」や「むらかみ町屋の外観再生プロジェクト」などを展開。 2004(平成16)年国土交通省認定の観光カリスマ百選に選ばれる。 2013(平成25)年「空き家再生プロジェクト」始動。 手がけたまちづくり活動は、JTB交流文化賞優秀賞、国土交通省都市景観大賞、ティファニー財団賞、内閣総理大臣賞はじめ様々な賞を受賞している。

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